日本学術会議は、当初は自由な立候補制で、部・専門・地方ごとに登録したに有権者による直接選挙によって、210名の会員を決定していました。1981年に当時の中山太郎総理府長官が「会員の公選制には疑義がある」と発言したことから、自民党内にプロジェクトチームが発足して、1983年に日本学術会議法の改正が行われました。当時の中曽根首相が「首相の任命は形式的にとどまる」と答弁したのは、このときの参議院文教委員会においてでした。
その結果、1984年から各分野の学会員の選挙で会員を決める方式に変わりました。1997年には、行政改革会議の最終報告で「日本学術会議は、(中略)今後その在り方について、総合科学技術会議で検討する」とされました。それを受けて、2003年に総合科学技術会議が「日本学術会議の在り方について」を首相に提言し、2005年からコ・オプテーション方式を含めた現在の体制となりました。
(参考資料:小沼通二「日本学術会議略年表」岩波「科学」2021年1月号)