「日面経過」の用語について



 金星が太陽の前面を通過するこの現象には,金星の「日面経過」, 「日面通過」,「太陽面通過」などの用語が使用されています. 混乱を避けるために,公開天文台ネットワーク(PAONET)では,一般 の方に分かりやすいという理由で,2004年4月に「太陽面通過」を使 用するように提案しました.私は用語を統一することには反対しませ んし,どの用語が使用されても構わないという立場ですが,理科年表 等では「日面経過」が使用されていますので,ここではこの「日面経 過」という用語について少し触れておきたいと思います.

 国立天文台暦計算室によりますと,「日面経過」という言葉が本暦 (当時の東京天文台が編集し神宮司庁が頒布していた暦書)に記載さ れたのは1924年(大正13年)5月8日の水星日面経過からで,理科年 表(暦部)では理科年表が創刊された1925年(大正14年)版以後最初 の水星日面経過が起こった1927年版(昭和2年版だが,昭和に改元さ れる前に発行されたため大正16年版になっている)に「水星ガ太陽ノ 面ヲ横切ル現象即チ水星ノ日面経過ガアル」と説明し,以後,この現 象は「日面経過」で統一されています.言葉を変えると別の現象を意 味するという誤解を与える恐れがあるということで,国立天文台暦計 算室では今後も「日面経過」を使用する意向だということです.「経 過」という用語は一般には「時の経過」のように使われるのが普通だ と思われているようですが,実は天文学では「掩蔽」に対する用語と して「経過」が存在するのです.つまり,「掩蔽」とは一般に小さな 天体の前面をより大きな天体が通過して小さな天体が隠される現象な のに対して,大きな天体の前面を小さな天体が通過する現象を「経過」 というのです.このことは大きな辞書にも説明されています.たとえ ば広辞苑で調べると「経過=太陽面を内惑星・彗星などの天体が通り 過ぎる現象。また、惑星面をその衛星が通過すること。」とあります. いうまでもないことと思いますが「通過」にはこのような特別な意味 は載っていません.理科年表では1950年(昭和25年)版から1970年 (昭和45年)版までの21年間,「木星の4大衛星の諸現象」というペ ージがありましたが,そこでも衛星が木星面を横切る現象を「経過」 と言っていました.天文年鑑などでは現在でも木星の衛星現象で「経 過」が使われています.また,前回の1874年(明治7年)の金星日面 経過を伝える当時の新聞記事でも「金星経過」なる語が使われていた ことは,東京日日新聞・横浜毎日新聞・郵便報知新聞などの記事で確 認できます(その一部は「星ナビ」2004年6月号p.79の雨宮正実氏の 投稿記事でも確認できます).もっとも,当時は「金星過日」なる語 も使われていました.

 以上は2004年4月に「天文ガイド」誌から,天文年鑑で使用してい る「日面経過」を使っていきたいのだがご意見は,と尋ねられて書い たことに,さらに付け加えてまとめたものです.

 なお,文部省(現在の文部科学省)と日本天文学会が著作権を所有 する学術用語集の天文学編(増訂版,1994年発行,発行所は日本学術 振興会,発売は丸善(株))には英語の transit の訳語に(「正中」 以外に)「太陽面通過」を当てていますが,これは感心しません. transit の日本語は上で説明した「経過」です.つまり,太陽面だけ でなく,木星面などの前面をその衛星などが通過するのも transit です.太陽の前面を通過することを英語で表すとすれば transit over the disk of the Sun のようになるでしょう.学術用 語集の編者はこれらの事実を知らずに「太陽面通過」という訳語を transit に当ててしまったようです. (原文2004年5月記,2011年9月追記)

相馬 充 (国立天文台)

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