天王星の環の名称



 天王星の環の名前の付け方が不揃いで,どうしてこのようになっているのか 不思議に思えるので,どうしてこうなっているのか,少し解説しておこう.

 環の名前は国際天文学連合 (IAU) で衛星や環に名前をつける WGPSN のサイト
http://planetarynames.wr.usgs.gov/append8.html
にある.天王星の環は,すでに13個の環に名前 (符号) が付いている. 内側から ζ,6,5,4,α,β,η,γ,δ,λ,ε,ν,μ  である.α,β,γ,δ,ε,η,4,5,6 は1977年の観測で付けられ, ζ は IAUC 8826 (2007年4月5日付) で付いたが,その他に λ,μ,ν がある.μとν以外は
http://en.wikipedia.org/wiki/Rings_of_Uranus
http://pds-rings.seti.org/uranus/uranus_tables.html
などにも載っていたが,μとνはあまり見かけなかった.しかし,上記の WGPSN にはμとνが2006年11月にすでに書かれていたことがわかっている (いつ 書かれたのかは未調査).ただし IAUC にはこの名前が付けられたという アナウンスはこれまでのところ,ないようである.

 天王星の環の名前は,結果としてこのように不揃いになっているが, 実際はアルファベットが順に付けられていたのである.

 1977年3月10日の天王星による SAO 158687 の掩蔽で Kuiper Airborne Observatory を初め数箇所の観測から5つの環が確認され,内側から α,β,γ,δ,εと名づけられた (IAUC 3047, 3048, 3051, 3058, 3061; J.L.Elliot et al. 1977, Nature 267, 328-330).εの外にも環が あるらしいということで,それに一旦ζと仮の名前が付けられた (IAUC 3061) が,これはその後,確認されることがなく,ζは使われるこ とがなかった.後の解析で,γの内側に薄い環があることがわかり, それにηの名前が付けられた (J.L.Elliot et al. 1978, AJ 83, 980-992).一方,Perth でも上記の掩蔽が観測されていて,6個の環が確 認された.それを外側から順に 1,2,3,4,5,6 と名づけ た (R.L.Millis et al. 1977, Nature 267, 330-331; J.L.Elliot et al. 1978, AJ 83, 980-992).ここで,1=ε,2=γ,3=β だっ たため,名前としては 4,5,6 が残った.αとδは望遠鏡の調整 のための観測中断中だったため,ここでは観測されなかった.1978年 4月4日の別の恒星の掩蔽では,α,β,γ,δ,ε,η以外にαより内側 に3個の新たな環が見付けられ,内側からθ,ι,κと名づけられた (IAUC 3215) が,θ=4,ι=5,κ=6だったため,その後,θ,ι, κは使われていない.その後,Voyager の画像から 1986 U 1R と 1986 U 2R (IAUC 4168; E.C.Stone and E.D.Miner 1986, Science 233, 39-43) が発見され,1986 U 1R にλが付けられた (これがいつ付いたか は未調査).2003年の HST の画像で新たに2個の環 R/2003 U 1 と R/2003 U 2 が発見され (IAUC 8649, 2005 Dec 29),後にμとνの名前が 付けられた (これらも,いつ付いたかは未調査).そして, IAUC 8826 で,以前いったん,他の環候補に付けられたζが 1986 U 2R に付けられた (前にζが仮に付けられたのはεの外だったが, 新たにζが付いたのは一番内側の環なので,以前の環とはまったく関係がない).

(2007年4月11日付けメモ)

相馬 充 (国立天文台)

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