皆既継続時間の長い月食



 2000年7月16日の月食は皆既の継続時間が1時間47分という,たいへんに長い ものであった.これに関連して,2000年7月12日の朝日新聞に,皆既の継続時間が この月食を越えるのは,次は西暦3787年7月であるという,私の計算に基づく結 果が掲載されていた.ここで,これについて解説しておく.

 最初に断っておくが,私の計算による皆既月食の継続時間は現在の天 体暦で採用している計算方法によって求めた値で,これは必ずしも観測から得ら れる値と一致するとは限らない.月食時に月に映る地球の影は縁がはっきりせず, 観測から月食の開始や終了の時刻を秒まで正確に求めることは不可能なことである. これは地球に境界のはっきりしない大気があるためで,そのため,天体暦では 地球の影の半径を地球の半径から幾何学的に計算した値よりも 2% だけ大きくして 0.1分までの精度で月食の予報を計算している.その場合,地球の半径としては 緯度45°に対するものを用い,地球の扁率を無視している.仮に地球の赤道半径を 用いて影が 2% 大きくなるとして計算した場合は継続時間は20秒くらい長くなる. 2% という拡大率にしても,多くの火口接触時刻を解析して,月食毎に 0.5% 程度の 変動があるという報告もある.

 西暦1000年から4000年までに起こる月食のうち,皆既継続時間が1時間46分を 越えるものを下に示す.日付は1582年まではユリウス暦,それ以後はグレゴリオ暦に よる皆既時間帯の世界時による日付である.

   日付   皆既継続時間
  年 月 日   時 分 秒
 1179 8 19   1 46 19
 1302 7 10   1 46 33
 1443 6 12   1 46 50
 1584 5 24   1 46 41
 1707 4 17   1 46 18
 1736 9 20   1 46 33
 1859 8 13   1 47 03
 1982 7 6   1 46 20
 2000 7 16   1 47 00
 2123 6 9   1 46 42
 2141 6 19   1 46 42
 2264 5 12   1 46 48
 2843 9 29   1 46 10
 2966 8 22   1 46 33
 2984 9 1   1 46 10
 3107 7 27   1 46 57
 3230 6 17   1 46 03
 3248 6 28   1 46 41
 3371 5 21   1 46 31
 3400 10 25   1 46 20
 3523 9 18   1 46 50
 3646 8 9   1 46 48
 3664 8 20   1 46 17
 3787 7 13   1 47 00
 3910 6 6   1 46 28
 3928 6 16   1 46 04


 これからわかるとおり,継続時間が今回を越えるのは3787年7月13日までないこ とになる.なお,表では今回のも3787年のも 1時間47分00秒となっている が,その下の桁まで求めると,今回のは1時間47分00.0秒,3787年のは1時間47分 00.3秒となって,3787年の方がわずかに長いことになるのである.

 上に書いた皆既継続時間の長い月食のリストを見ると,その月食の起こる月は 4月から10月までに限られているが,これには理由がある.次にこの点に ついて説明しておこう.

 皆既継続時間が長くなるためには月が本影の中心を通過することが必要である ことは当然である.そして,月が遠地点 (月の軌道上で地球からの距離が最も遠い 点) に来たときに月食が起これば面積速度一定の法則によって月の動く速さが遅 くなるために皆既の時間が長くなる.これは,月の影の大きさだけを考える と,地球に近いところで月食が起きた方が影の大きさが大きくなって皆既時間が 長くなるように思われるのであるが,地球から遠ざかって月の動く速さが遅くなる 効果の方が,影が小さくなって継続時間が短くなる効果を上回るためである.この 点は,国立天文台・天文ニュース (356) にも説明されていた.月が遠地点に あるときと近地点にあるときの継続時間を比べると,遠地点にあるときの方が約 7分も長くなるのである.継続時間の長い月食を考える場合は,これにさらに太陽 から地球までの距離を考慮する必要がある.地球・月間の距離が同じでも太陽・地球 間の距離が変われば影の大きさも変わるからである.月の場所における地球の影が 大きくなるためには太陽・地球間の距離が大きいことが必要である.この場合, 地球が太陽の周りを回転する角速度 (それは地球の後方に伸びている影の 方向の角速度でもある) の変化も考慮する必要がある.影の動く方向は月の 運動を追いかける形になるため,影の動く角速度が大きいほど皆既時間が長くな るはずで,そのためには,やはり面積速度一定の法則から太陽・地球間の距離が 短いほうが良いことになるのであるが,この場合には距離が大きくなって影が大きく なる効果の方が影の動く角速度が小さくなるマイナス効果より大きいため,地球 が遠日点 (地球の軌道上で太陽からの距離が最も大きい点.地球は毎年7月上旬 にここを通過する) に来るときに月食が起こる方が皆既時間が長くなるのである. 遠日点と近日点での継続時間の差は約1分である.

 次に,理論的に考えて,皆既月食の継続時間の最大はどのくらいかを調べてみ よう.上に述べたように,地球が遠日点に来るときに月が遠地点に来て月食 が起こり月が影の中心を通過するという条件で考えれば,それが理論的な皆既月 食継続時間の最長ということになる.月の運動は,月の近地点からの角度 l, 地球の近日点からの角度 l',月の太陽からの離角 D, 月の地球軌道に対する昇 交点からの角度 F の関数として表される (精密な月の位置計算では惑星の引力 の効果も考慮する必要があるが,その効果は小さく,今の計算では無視でき る). 月食が起こるという条件から D = 180°と F = 0°or 180°が成り立つ. また月が遠地点にいるという条件から l =180°,地球が遠日点にいるという 条件から l' = 180° になる.月の運動理論の主要項を求め (黄経と距離につ いてそれぞれ二十数項,黄緯について数項) これらの引数を代入して計算すると, 月の角速度は黄経方向が L = 0.4915"/sec,黄緯方向が B = ±0.0454"/sec (複号の +は昇交点,?は降交点で月食が起こる場合),月の地球からの距離 d = 406250km (月の視半径 s = 882.4") が求めらる.このとき,太陽・地球間の距離は 1.0167天文単位 (1天文単位は1億4960万キロメートル) であることから月の距離 における本影の半径は f = 2343.9",影の角速度は S = 0.0397"/sec になる.これら から,皆既継続時間は 2(f - s )/SQRT((L - S )^2+B ^2) = 1時間47分17秒となる. ここで SQRT(X ) は X の平方根,^2 は二乗の意味である. 2000年7月16日のは これよりわずかに17秒だけ短いことになる.



相馬 充 (国立天文台)

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